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人にどう見られるかよりも世界をどう見るか

ランニングをしようと外に出たが、5分ほど歩いたところで道の先でスモークが充満しており立ち止まった。殺虫剤を巻いているようだ。離れていてもすでに吸い込む空気が新鮮なそれとは異なっていることがわかったので踵を返して滞在先に戻った。


昨日は午前中のセッションを終え、スクーターで北に向かった。進むごとに家が少なくなり、田んぼが増える。途中いくつかの村を抜けて、立体的な棚田のエリアに着いた。谷につくられた棚田の周りには大きなブランコがかかっている。以前は棚田の上を揺れるブランコは一箇所にしかなかったそうだが、人気が出て、今はウブドの周辺にもそここにブランコがある。ヒラヒラと舞う長いスカートを身につけてブランコに乗り、映える写真を撮る様子を眺めながら、世界を旅しているときにどこかの国で浮かんできたセンテンスが蘇ってきた。


「How you see the world is more important than how people sees you.」

ピーターさんがもう少しセンテンスをシンプルにしてくれたが、意味は同じだ。人にどう見られるかよりも自分が世界をどう見るか。このことの大切さは数年前よりもさらに増しているように思う。どんなに生きられる時間が伸びたとしても人にどう見られるか、どう評価されるかを気にし、そのために生きているのなら、生き生きとした人生にはならないだろう。かといって自分のことしか考えず自己中心的に生きる人生もそこから感じる喜びはそう大きくはないはずだ。自己というものを拡張し、自然や地球、宇宙と、より大きな自己の喜びを生きようとすることが、より長く生きられるようになった人間に与えられた役割なのではないかと思う。個人の力ではどうにも解決が難しくなった地球規模の課題があるからこそ、より大きな自己で世界を見て協働することが必要となっている。


日々の暮らしは一見そんな地球規模の話とは縁遠いように思えるが、本当はそうではないはずだ。どんな場所で、どんな暮らしをするか。何をどんな風に食べるか。誰にどんな声をかけるか。その一つ一つの選択が「地球」を作っている。


次にどんなことを学び深めようかとここのところ考えていたが、特定の分野の学びやスキルの習得が今必要なことではないという結論に至った。いかに感覚を拡張するか。いかに自己を拡張・解体・溶解させていくか。その方向性で人と関わると一見地味で何が起こっているかは見えにくいが、その人が本来持っている感覚や視点が自然と開いていくことになるだろう。いまだに外にある手っ取り早い答えに手を伸ばしたくなるが、求めているものではそれではないのだと、これからも何度も自分に確認することになるだろう。


それにしてもジャーナリングというのはつくづく不思議なものだ。キーボードに指をおけば勝手に言葉がタイプされていく。始めるときは書きたいことなど特に浮かんでいないのだが、どこかにあったもの、どこかからやってくるものが流れるようにアウトプットされていく。2023.12.28 9:50 Ubud Indonesia

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